IT関連契約と逸失利益

 IT関連契約のリーガルチェックにおいて、法務担当者の「損害賠償の範囲」に関する見解が分れる場面は少なくありません。でも真実は見解が分かれているのではなく、起案側は自社(依頼人)に有利にするためにそうしており、確認側は(法律顧問や知識を有した担当者ならば)防御のために修正提案をしているという構図です。
 基本的に「直接に生じた損害および、予見することができた特別な損害」という法的な定義の枠内であれば、あまり問題にならないのですが、「逸失利益」や「間接損害」までもが対象範囲になっているケースが問題となります。 今回は、この「逸失利益」について考察してみます。
まずは逸失利益の定義について、法律専門書の文章から引用します。

現存しない(消極的な)将来の利益を得られなくなること(その利益を「逸失利益」と呼ぶ)をいう(たとえば、目的物が手に入れば、転売したり、賃貸して得られたであろう利益、怪我しなければ働いて得られたであろう収入などが、得られなくなることなどをいう)。

≪第8版 我妻・有泉コンメンタール民法-総則・物権・債権-,806頁≫

 逸失利益は、将来得られるはずであった利益を、債務不履行や不法行為によって逸失したことを債権者(被害者)側が不満に持つことよって提起されます。しかし、逸失利益の立証は極めて困難だとされます。債務不履行や不法行為がなければ得られることが確実または、非常に高い確度で利益を得られたという客観的な事実証明と、それを逸失した事実との相当の因果関係を立証しなければならないからです。
 仮に裁判を前提としない当事者間協議で主張したとしても、相手方から「単なる期待」や「根拠を欠く仮定」に過ぎないと反論される可能性が高く、もしも請求側が契約に明記している文言に固執して感情が収まらないことがあれば、裁判での高難度の立証に挑戦するに至るかもしれません。
 ならばなぜ、一部の法律実務家は、契約書の紛争予防機能を制限してまで、契約内容に逸失利益を明記しようとするのでしょうか。小職の個人的感想として一部の法律実務家が逸失利益の記載にこだわる背景には、心理的な抑止力としての効果はもちろん、『立証のハードルが高い損害について、あらかじめ相手方の合意を取り付けておく』という実利的な計算が働いているものと推測します。つまり裁判を回避し、任意の合意によって交渉を優位に進めるための布石として考えているのも理由のひとつだと思います。
 しかし、特定の条件において法律の根拠が存在するケースがあります。それは、「交通事故」の事案や「特許法」「不正競争防止法」では、被害者救済や産業保護の観点から、その適用対象を限定して立証ハードルを下げている運用や特別法があるのです。。

以下に、その構造と背景を少し整理してみます。


民法一般原則における「逸失利益」の立証困難性

 民法第416条(債務不履行)や第709条(不法行為)に基づく損害賠償の原則では、損害の発生と加害行為との間の「相当因果関係」を債権者(被害者)が証明しなければなりません。逸失利益は「将来発生するはずだった利益」という不確定な要素を孕むため、その立証には極めて高い蓋然性があると認められる程度の客観的証拠を提示することが求められます。しかし、そのような証拠の提示は現実的に極めて困難と思われます。

交通事故における運用の緩和:定型化と推計

 交通事故の分野では、毎日膨大な数の紛争が発生するため、判例や実務(いわゆる「赤い本」などの算定基準)によって、計算の「定型化・推計化」が進んでいます。これにより、被害者は「将来の不確実な事情」を個別に立証する重責から解放されています。

特許侵害における運用の緩和:特許法第102条

 特許法第102条では、民法の原則を修正する「損害額の推定規定」が設けられています。
  ・(譲渡数量×利益単位額): 侵害者が販売した商品の数量に、権利者の利益単価を乗じて額が損害額と推定することができます。
  ・(侵害者利益の推定): 侵害者が得た利益を、そのまま権利者の損害と推定します。
  ・(ライセンス料相当額): 少なくとも「ライセンス料(使用料)」相当額の請求を認めています。 
 知財分野、特に特許侵害においては、権利者は「侵害行為がなければ自分がどれだけ売っていたか」という立証困難な事実を、法律上の推定によって代替できるようになっています。

営業秘密の侵害における運用の緩和:不正競争防止法第5条

 不正競争防止法第5条では、侵害された側が損害賠償を請求する際、損害額を計算・証明しやすくするための特例を定めています。
  ①権利者の販売能力の範囲内における侵害:「侵害行為がなければ自分が売れたはずの1単位あたりの利益」×「侵害者が実際に売った数量」
  ②権利者の販売能力を超える分の侵害:その営業秘密の使用に応じた「ライセンス料(使用料)」相当額をに上乗せする
 また、侵害者がその不正行為によって既に利益を得ている場合は、その「侵害者が得た利益の額」を、そのまま「被害者が受けた損害の額」と推定できます。これにより、権利者は損害について細かく証明しなくても、相手の利益を基準に賠償請求しやすくなります。


まとめ

 一般的なITサービス契約において、逸失利益を明記することは紛争を助長する恐れがあり、予防法務の観点からは原則として不要と思慮します。ただし、運輸関連業務や知的財産権侵害のリスクが高い特殊な事案では、その明記が重要な意味を持つ場合があります。もっとも、実際に逸失利益の賠償が認められうるケースは限定的であることから、法律関係者は、逸失利益の取り扱いについて取引当事者が安易な期待や余計な不安を抱かせないよう丁寧な説明を行うべきです。あわせて、契約書内でも適用場面を具体的に想起させる文言を盛り込むなどの工夫をしておけば、紛争の深刻化を未然に防止する効果が期待できます。